エントロピーはなぜ増える?量子力学から熱力学第二法則を導く新研究

温水と冷水の混合と量子的な世界を表すAI生成の概念イメージ 数理物理
AI生成の概念イメージ。研究の実験写真や粒子配置ではありません。

熱いお湯に冷水を足すと、ぬるま湯になります。けれど、同じ容器を置いて待っていても、お湯と冷水には分かれません。エネルギーがなくなったわけではないのに、なぜ元へ戻れないのでしょうか。

この向きの違いを記述するのが、熱力学第二法則とエントロピーです。2026年11月4日、理化学研究所・東京大学・大阪大学は、量子力学の枠組みから第二法則の二つの表現を導いた研究を発表しました。論文は『PRX Quantum』に11月3日付で掲載されています。

ポイントは、物質の状態だけでなく、外から何を操作できるかも一緒に定めたことです。まず水を混ぜる計算で不可逆性を確かめ、その後で研究の核心と証明の条件を見ていきましょう。

同じ50℃でも、お湯と冷水の組み合わせとは違う

80℃の水100gと、20℃の水100gを用意します。容器から外へ熱が逃げず、蒸発や容器自体の熱容量も無視できるとしましょう。水の比熱を一定と近似すれば、混ぜた後の温度は50℃です。熱い側が失ったエネルギーを、冷たい側が受け取るからです。

\[mc(80-T_f)=mc(T_f-20)\]
\[T_f=50\,{}^\circ\mathrm{C}\]
記号 / Symbol意味 / Meaning単位 / Unit
mそれぞれの水の質量、100gg
c水の比熱、約4.184J/(g·K)
Tf混合後の温度℃

エネルギー保存だけでは逆向きを禁止できない

温水から冷水へ移った熱量は、100×4.184×30=12,552Jです。逆に、50℃の水を二つに分け、一方から同じ量の熱を抜いてもう一方へ移せば、計算上は20℃と80℃にできます。したがって、エネルギー保存だけでは逆向きの変化を禁止できません。

温水と冷水が50℃へ近づく説明用グラフ
同じ質量・一定比熱の二つの水が熱を交換する単純な指数緩和モデル。横軸は実測時間ではなく規格化時間。実験データではありません。Xypha作成。

ここで必要になるのが、変化の向きを区別する別の物差しです。温度差がなくなる過程は、合計のエネルギーを変えずに、水全体のエントロピーを増やします。エネルギーの帳尻が合うことと、外から何もせずに実現することは、同じ条件ではないのです。

冷蔵庫は周囲へ熱を捨てている

冷蔵庫なら、低温側から高温側へ熱を運べます。ただし電力を使い、背面などから周囲へ熱を放出します。冷たい部分だけを見れば元へ戻せても、装置と周囲まで含めた過程には代償があるわけです。第二法則を確かめる際には、どこまでを対象に数えるかを先に決める必要があります。

エントロピーは実際にどれだけ増える?

一定の比熱で近似できる物質では、初めの温度から終わりの温度へ変わるときのエントロピー差を、次の式で計算できます。これは今回の論文の証明式ではなく、ニュースの背景を理解するための通常の熱力学の計算です。

\[\Delta S=mc\ln\!\left(\frac{T_f}{T_i}\right)\]
記号 / Symbol意味 / Meaning単位 / Unit
ΔSエントロピーの変化J/K
Ti, Tf初めと終わりの絶対温度K
ln自然対数なし
m, c質量と比熱。上の表と同じg, J/(g·K)

温度をKに直して増減を計算する

重要なのは、温度比には℃を使わないことです。80℃、20℃、50℃は、それぞれ353.15K、293.15K、323.15Kです。℃のゼロは目盛りの基準にすぎないため、50÷80のような比では熱力学的な温度比を表せません。

温水側では温度が下がるので、エントロピー差は負になります。一方、冷水側では正になります。それぞれ同じ大きさになるとは限りません。

計算すると、温水側の変化は約−37.14J/Kです。冷水側は約+40.77J/Kとなります。全体については次の結果が得られます。

\[\Delta S_{\mathrm{total}}\approx+3.62\,\mathrm{J/K}\]
温水と冷水のエントロピー変化の計算結果
水100gずつの混合計算。温水側約−37.14J/K、冷水側約+40.77J/K、丸める前の合計約+3.62J/K。Xypha作成。

合計は丸める前の値を足したものです。エネルギーの受け渡しは12,552Jずつで釣り合っても、エントロピーの減少と増加は釣り合いません。同じ熱量を受け取ったとき、低温の物体のほうが大きなエントロピー増加を示すためです。

途中の渦を再現せずに計算できる理由

この計算は、混合の途中で水温が一様だと仮定したものではありません。エントロピーは状態で決まる量なので、始めと終わりの平衡状態を結ぶ、計算しやすい仮想的な経路を使えます。途中の渦や温度むらを細かく再現せずに、全体の差を求められるのが利点です。

粒子の法則には「元へ戻す操作」がある

ここまでは、物体の温度や熱量を扱うマクロな話です。水の内部をさらに細かく見れば、分子や電子などの量子的な自由度があります。そこで疑問が生まれます。土台の量子力学が可逆的なら、なぜ大きな物体では一方向の変化が現れるのでしょうか。

外界と切り離した量子系の時間変化は、ユニタリな変化として表されます。「ユニタリ」とは、ここでは逆の変換を数学的に定められる性質を指します。しかし、式の上で逆変換が存在することから、容器を動かすだけでその変換を実行できるとは言えません。

たとえば、室内の照明をまとめて暗くする操作と、画面の全画素を別々の色に指定する操作では、制御する情報の量が違います。これは量子系そのものの模型ではありませんが、「全体に働きかけること」と「細部を一つずつ指定すること」の違いを考える手掛かりになります。

量子状態の基本的な考え方は、関連記事の量子コンピュータの重ね合わせと干渉の解説でも扱っています。ただし今回の対象は計算手順ではなく、多数の自由度を持つ物質の熱的な振る舞いです。

今回の鍵は、平衡と操作を同じ物差しで定めること

研究ではまず、エネルギーや全磁化のように、各部分の寄与を足して全体を表せる量に着目しています。このような量を相加物理量と呼びます。磁化なら、小さな領域ごとの磁気的な寄与を足し合わせ、物体全体の値を考えるイメージです。

こうした物理量のマクロな値が対応する熱平衡の値と一致する状態を、研究チームはiMATEとして定式化しました。温度が同じという一つの条件だけで平衡を判定するのではなく、多数の相加物理量を用いて状態を特徴付ける考え方です。

続いて、磁場などの外部条件を変えて物質全体へ作用させる「マクロ操作」を定義します。粒子を一つずつ思いどおりに制御する場合は、区別して扱います。平衡状態の定義と、許される制御の定義をそろえることが、この研究の重要な部分です。

マクロ操作と個別の微視的操作を比較した概念図
外部から一括して作用させる制御と、個々の自由度への制御の違いを示す模式図。点は実際の粒子配置や量子状態の計算結果ではありません。Xypha作成。

外部条件を戻す操作で仕事を取り出せるか

この枠組みで得られた成果の一つが、平衡状態から始め、外部条件を最後に元へ戻す操作では、物体の大きさに比例するような仕事を取り出せないという結果です。これは第二法則の一つの表現であるプランクの原理に対応します。

「仕事」は、力で物体を動かすなどの方法で受け渡すエネルギーです。ここでいう周期的な操作とは、状態の全情報が元へ戻ることではなく、磁場やピストン位置のような制御条件を元へ戻すことを指します。始めに温度差がある装置や、燃料を消費する装置まで発電できないと述べたものではありません。

熱力学と一致するエントロピーを定義する

もう一つは、適切に定義した量子マクロエントロピー密度が、マクロ操作とその後の緩和によって減らないという結果です。最後に再び熱平衡へ落ち着く場合、熱力学でおなじみのエントロピー増大則につながります。二つの表現を、量子力学の中で区別して導いた点にも意味があります。

純粋な量子状態でも、熱力学的なエントロピーはある

熱平衡と聞くと、多くの状態が単に混ざり合った状況を思い浮かべるかもしれません。ところが、量子力学では全体が純粋状態でも、マクロな物理量について熱平衡を表せる場合があります。「純粋」は、物質に不純物が入っていないという意味ではありません。

純粋状態とは、複数の量子状態の確率的な混合としては表せない状態です。混合状態では、確率的な混ざり方を考えます。量子情報で使われるフォン・ノイマンエントロピーは、全体が純粋状態ならゼロです。それでも、熱い物体の熱力学的なエントロピーまでゼロになるわけではありません。

「乱雑さ」だけでは説明しきれない

同じ「エントロピー」という名前でも、定義の確認は欠かせません。数える状態と対象の範囲にも注意が必要です。日常の乱雑さという一言だけでは、この違いが見えなくなります。部屋の散らかり具合と、熱力学の計算で得たJ/Kの量を、そのまま同じものとして扱うことはできません。

研究で導入した量は、平衡を表す状態について、純粋状態も含めて熱力学のエントロピー密度と一致するように結び付けられています。量子力学の情報を捨て去るのではなく、大きな物体として何を測り、何を制御するのかを明示することで、二つの記述の接点を作ったわけです。

証明には操作時間の条件がある

粒子数を十分大きくする熱力学極限での議論であり、有限の小さな装置が示す全ての揺らぎを禁止する主張ではありません。今回の証明には、操作時間についても重要な条件があります。系を大きくしても操作時間が長くならない、という条件です。物質の大きさとともに制御時間まで長くなる操作へ、結論をそのまま拡張することはできません。緩和の扱いにも条件があります。

したがって、「量子力学から、考え得るあらゆる操作について第二法則が完全に証明された」と読むのは広げすぎです。また、この研究は新しい装置を動かして不可逆性を測った実験ではなく、状態・操作・極限の取り方を定めて結論を導く理論研究です。

条件があることは、結果が弱いというだけの話ではありません。どの制御を熱力学の操作と見なせるのかを調べれば、第二法則が成立する理由をさらに具体的に問えます。大きな物体について成り立つ法則を、小さな自由度の式へ結び付けるには、観測と制御の範囲まで含めて考える必要があるのです。

まとめ

お湯と冷水を混ぜると、エネルギーは保存されてもエントロピーは増えます。80℃と20℃の水を100gずつ混ぜる近似計算では、最終温度は50℃、全体のエントロピー増加は約3.62J/Kでした。

今回の研究は、量子力学で表した熱平衡とマクロな操作を結び付け、プランクの原理とエントロピー増大則を導いたものです。純粋状態と熱平衡の両立を扱う一方、操作時間などの成立条件があります。元へ戻す式が存在することと、その操作を大きな物体に実行できることの違いが、不可逆性を理解する鍵になります。

出典・関連記事

理化学研究所「エントロピー増大則を量子力学から証明」(2026年11月4日)。東京大学の発表も参照。

Chiba, Yoneta, Hamazaki, Shimizu, Second Law of Thermodynamics in Closed Quantum Many-Body Systems, PRX Quantum 7, 043023(2026年11月3日)、DOI: 10.1103/3y8f-yrp8。公開されたarXiv版v2の概要と条件も確認。水の計算と3点の図はXyphaによる解説用作成であり、論文の実験データではありません。アイキャッチはAI生成の概念イメージです。

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入門向け

『Newton 物理大図鑑』。まず熱・エネルギーなどの基本概念を図とともにつかみ、物理全体の中で今回の話題を位置付けたい方に。

詳しく学びたい方向け

『ファインマン物理学〈2〉光・熱・波動』。熱や統計的な考え方を、数式を追いながら学びたい方に。今回の最新論文そのものを解説した書籍ではありません。

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