南極の氷河は、空気に触れる表面だけでなく、海と接する底からも融けます。西南極のスウェイツ氷河で注目されているのは、海水が氷の下へ入り込む場所です。そこを地図上の細い境界線として扱うか、幅のある領域として扱うかによって、将来の海面上昇の見積りが変わる可能性が示されました。
2026年10月12日に学術誌Nature Communicationsで公開された研究は、観測に合わせて調整した氷床モデルで、スウェイツ氷河の2100年までの世界平均海面への寄与が最大で約30mmになると報告しています。比較した従来の見積りのおよそ2倍ですが、これは世界全体の海面上昇が3cmに収まるという意味でも、氷河が決まった年に崩れるという予告でもありません。
この記事では、氷と海底の接触、潮の満ち引き、衛星観測の役割を順に説明します。3cmという高さを水の体積に換算する独自の計算も使い、ニュースの数字が何を表すのかを確かめます。
スウェイツ氷河の研究で何が変わった?
スウェイツ氷河は、西南極からアムンゼン海側へ流れ出す大きな氷河です。氷河は動かない氷の山ではなく、長い時間をかけて重力で流れる氷の集まりです。海へ流れ込む量と、雪などで補われる量の釣り合いが崩れると、氷の量が減っていきます。
今回の研究は、観測された氷の後退、薄化、流れの加速を、計算の中で再現できるかを調べました。未来だけを計算する前に、過去およそ30年の変化を説明できるかを確かめる設計です。論文の公開日は10月12日で、研究機関の紹介ページには10月13日と表示されています。紹介文中の発表日も10月12日であり、これらの日付を区別して読む必要があります。
| 項目 | 今回の読みどころ | 注意点 |
|---|---|---|
| 着目した場所 | 氷が海底から離れて浮き始める領域 | 氷河の表面だけの研究ではない |
| モデルの検証 | 過去の後退・薄化・加速と比較 | 過去の一致だけで未来が確定するわけではない |
| 海面への寄与 | 2100年までに最大約30mmという結果 | スウェイツ氷河についての条件付きの計算 |
| 温暖化の条件 | 追加の温暖化を与えない設定でも影響 | すでに受けている影響が消える設定ではない |
研究の要旨は論文の公開書誌・要旨で確認できます。本記事の研究結果の説明は、公開要旨とカリフォルニア大学アーバイン校の公式発表に基づきます。論文本文の全条件を独自に再計算したものではありません。

氷が海底から離れる場所は、一本の線ではない
海へ向かう氷のうち、海底や地盤に接している部分を接地した氷、海に浮いている部分を浮遊した氷と呼びます。両者の境目が接地線です。広い地域を計算するとき、境目を一本の線で表すと整理しやすくなります。しかし現実では、潮位によって氷が持ち上がったり、再び海底に接したりする場所があります。
こうした移り変わりを含む幅のある領域が、接地帯です。ある瞬間の境界だけを見ても、海水がどこまで届いたかを十分には捉えられません。今回の論文要旨は、海水が入り込んで底面を融かす、キロメートル規模の接地帯を組み込むことが、観測の再現に必要だったとしています。
ここでいう「温かい海水」は、南極の氷を融かせるだけの熱を持つ水という意味です。人が触って温かい水や、熱湯が流れ込むという話ではありません。海水は塩分や圧力の条件によって凍結温度が変わります。水温だけでなく、どれだけの水が氷に触れるか、流れが熱を運び続けるかが関係します。

潮の満ち引きが、海水の通り道を変える
潮が満ちると、浮力によって氷が持ち上がり、底との間に海水が入り込める場所が変わります。潮が引くと接触の状態が変わることもあります。この繰り返しによって、水と氷が触れる範囲や時間が変化します。研究機関は、衛星レーダーで捉えた接地帯の変動を、モデルの改良に結び付けたと説明しています。
ただし、海水が届く幅が2倍なら、氷の損失も必ず2倍になるという単純な比例ではありません。氷の厚さ、底面の摩擦、海底の起伏、流速が互いに影響します。底が融けて薄くなれば、接触や浮き方が変わり、それが次の流れを変えるという連鎖があるためです。
衛星は、氷の下の変化をどう調べる?
南極の広い範囲を、船や人だけで繰り返し測るのは困難です。そこで衛星観測が役立ちます。研究機関の発表では、ICEYEという衛星群の合成開口レーダーによる観測が使われています。合成開口レーダーは、電波を送り、地表から戻る信号を調べる装置です。
時期の異なる観測を比べると、氷の表面の動きや変化を調べられます。しかし、衛星が氷の下の水路をそのまま写真のように撮影した、と考えると誤解になります。表面の上下動や流れ、氷の厚さなどの情報を、浮力や接触の物理と結び付け、底で起きていることを推定します。
たとえば、潮のタイミングに応じて氷の高さが変わる場所は、氷がどこまで水に支えられているかを考える手掛かりになります。観測された動きだけでなく、どの測定から何を推定したかまで分けて読むことが、研究の確かさを判断するうえで大切です。

海面3cmは、どれだけの水に相当する?
30mmは3cmです。定規で見ると小さく感じますが、世界平均という言葉が付くと、その高さを広大な海の面積で考える必要があります。ここではニュースの規模を理解するため、海の面積を丸めて3億6,100万km²、水の密度を1,000kg/m³と置く説明用の計算をします。海水の密度差や地域差を省いた近似であり、氷床モデルの再現計算ではありません。
V=A×h、m=ρ×V
| 記号 | 意味 | 単位・仮定 |
|---|---|---|
| V | 高さの変化に対応する水の体積 | m³ |
| A | 海の面積 | 3.61×10¹⁴m²という丸めた値 |
| h | 平均した水位の変化 | 0.030m |
| m | その水の質量 | kg |
| ρ | 水の密度 | 1,000kg/m³という近似 |
単位をそろえると、3億6,100万km²=3.61×10⁸×10⁶m²=3.61×10¹⁴m²です。したがって、V=3.61×10¹⁴m²×0.030m=1.083×10¹³m³。1km³=10⁹m³なので、体積は約10,830km³に相当します。
質量はm=1,000kg/m³×1.083×10¹³m³=1.083×10¹⁶kgです。1Gtを10¹²kgとするなら約10,830Gtになります。この値は、平均水位を3cm変える水の量を概算したものです。スウェイツ氷河の実測損失や、海底に接した氷の浮力補正まで計算した数値として扱うことはできません。
「平均3cm」と「日本の海岸で3cm」は同じではない
世界平均海面は、地域ごとの海面を平均した指標です。実際の海岸では、地盤の上下、海流、水温による体積変化、潮汐などが重なります。今回の数値だけから、ある港の浸水の深さや発生年を直接決めることはできません。
それでも、普段の水位が高くなることは、満潮や高潮が乗る出発点を変えます。余裕のある容器に水を足す場合と、縁に近い容器に同じ量を足す場合では、あふれやすさが違います。海岸の備えを考えるときは、平均の変化に加え、地域の地形や観測、極端な潮位を一緒に見る必要があります。

浮いている氷が融けるだけなら、水位は変わらない?
コップに浮く氷を思い浮かべると、すでに浮いている氷は、自分の重さに対応する分の水を押しのけています。そのため、浮遊氷の融解と、地盤に支えられた氷が海へ加わることは、海面への作用を同じようには扱えません。海では塩分や密度の違いによる小さな効果もあり、「浮く氷は一切関係ない」と言い切るのも正確ではありません。
氷河で重要なのは、浮いている部分だけでなく、その奥の氷の動きです。海底の高まりや周囲との接触が変わると、流れを抑えていた条件が変わり、内陸から海へ出ていく氷の量に影響することがあります。浮く部分の融解そのものと、陸側の流出を速める間接的な作用を区別すると、接地帯が注目される理由が分かります。
今回の研究は、海底の高まりとの接触が失われる過程も将来計算に含めています。ただし、論文要旨にある「早ければ2038年」という結果は、モデル内で得られた早い場合の例です。すべての条件でその年に氷河が崩壊するという予測ではありません。
よくある疑問:明日から海が急に高くなる?
2100年の値を年数で割れば、毎年の上昇量になる?
それは期間全体を平均した説明には使えても、各年の予測にはなりません。氷の流れや海との接触が途中で変われば、損失の速さも変わります。坂道を走る車の平均速度だけから、ある交差点を通る瞬間の速度が分からないのと同じです。今回の結果を、毎年同じ量が積み上がる計画表として読まないことが大切です。
予測値が上がったら、今までの防災情報は使えない?
この研究だけで、地域の防災情報を置き換えることはできません。氷河の将来計算は、広い範囲の長期的な見通しを考える一つの材料です。身近な海岸での行動は、自治体のハザードマップや、その時の潮位・気象情報など、場所と時間に合った情報で判断します。研究が示す長期の条件と、当日の避難判断では、必要な情報の細かさが異なります。
予測を読むときに確かめたい3つの条件
第一に、対象の範囲です。スウェイツ氷河の寄与を、南極全体や世界全体の海面上昇と混同しないこと。第二に、気候の設定です。「追加の温暖化がなくても」という結果は、すでに暖められた海や、現在までに生じた氷の変化を消しているわけではありません。
第三に、観測との関係です。過去を再現する能力が高まったことは、モデルを評価する有力な材料です。一方で、今後の海水の流れや底面の条件を完全に知っているわけではありません。値が変わったことを単に「前の研究は全部間違い」と捉えるより、どの物理過程を加え、何を説明できるようになったかを見ると、研究の価値を具体的に理解できます。
海の変化を複数の観測から読む考え方は、エルニーニョを海面の高さ・水温・色から調べる記事ともつながります。同じ「海面の高さ」という数値でも、地域の海流による変化か、氷の損失による長期的な寄与かで意味が異なります。
まとめ
スウェイツ氷河の新しい研究は、海水が出入りして氷の底を融かす接地帯を、幅のある領域として扱う重要性を示しました。表面からは見えにくい接触と熱の運ばれ方が、氷の後退や流れの計算に影響します。
2100年までに最大約30mmという結果は、この氷河についての条件付きの世界平均海面への寄与です。3cmを水の体積に換算すると、その小さく見える高さが大きな水量に対応することが分かります。数字だけでなく、対象・条件・観測の手掛かりを一緒に読むことが、このニュースから持ち帰れる理解です。
出典・関連記事
- Poinelliほか、Nature Communications掲載論文(2026年10月12日)/公開要旨・書誌。本記事は公開要旨と研究機関発表で確認した範囲を解説。
- カリフォルニア大学アーバイン校の発表(掲載表示10月13日、発表文の日付10月12日)
- NASA JPL:氷河が氷を失う仕組み
- NASA:浮く氷の融解と海面・密度の関係
- エルニーニョで変わる海の高さ・温度・色
本文の計算と模式図はXyphaによる説明用です。AI生成画像は観測写真・現地記録・将来予測図ではありません。



コメント